「銀さんが帰って来たよぉ〜」
もうじき日付が変わろうとする頃に、駄目上司のムカつく位間延びした間抜けな声が聞こえた。
フリして触れるだけで精一杯
「うぉ〜い、新八〜新ちゃ〜ん〜ぱっつぁ〜ん〜」
玄関から尚も聞こえる駄目上司の呼び声に、溜息を吐きつつ仕方なく立ち上がる。
幾ら夜が本格的な活動時間である歌舞伎町であろうと近所迷惑であるし、何より玄関脇の押入れで眠っている神楽ちゃんをこんな時間に起こす訳にもいかない。
駄目上司!馬鹿上司!!糖尿上司!!!
とりあえず、思いつく限りの悪態を胸の内だけで呟いて居間の戸を開ければ、敲きに足を投げ出して上がり框に腰掛ける銀さんの姿。
後ろ手を付いて身体を仰け反らせ、こっちを見ている逆さまになった顔は普段の無気力・無表情とは違いヘラヘラと楽しげな笑みを浮かべていた。
どんだけ飲んできやがったこの馬鹿!!!
大抵こうやって上機嫌の時は、文字通り浴びる程お酒を飲んだ時。
そして、次の日の朝は二日酔いにのたうつ。
それが分かってるのに、どうしてこの人は同じ事を繰り返すかなぁーもぉー。
ホント、信じらんない。
ブツブツ不平を呟きながら、何時の間にか廊下に寝そべる銀さんを無視して脇の台所に入る。
洗い物籠に伏せてあったコップを取って水を注ぐと、それを片手に今度こそ銀さんの所に向かった。
銀さんの傍らに正座して、持っていたコップを突き出す。
「はい、お水。これ飲んでとっとと寝て下さい」
「なぁんか新ちゃんつーめーたーいー」
もっと優しく言ってぇ〜とにへらと笑う目の前の男を。
簀巻きにして川に蹴り落としたいと思った僕に非はまったくない筈。
とは言っても、実際にそうする訳にも行かず、寝転がったまま僕を見上げる銀さんの額をペチンっと叩くだけにしておく。
痛〜いとかほざてたけど、これだけで済んでる事に感謝して貰いたい位だ。
「とにかくさっさと飲んで寝る!!」
一回持っていたコップを脇に置いて寝転がったままの銀さんを引き起こす。
うーだのあーだの呻いているのはこの際無視。
僕だって好い加減寝たいんだから!!
やっと起き上がったって言うか、起き上がらせた銀さんにコップを押し付ければ、ちびちびと飲み始める。
さっさと飲めつっただろうが!!と、言いたいのをぐっと堪えてコップの水が空になるのを待った。
イライラしながら待つ事数分。
コップ一杯の水飲むのにどんだけ掛かってんだよ!!!
そのコップで脳天カチ割ってやろうか。
駄目だ・・・眠過ぎて思考がかなり過激になってる。
軽く米神を指先で揉んで深呼吸一回。
落ち着いた事を確かめて、銀さんにコップを渡すように手を差し出す。
何でこの人、人の手を握ってんの?
にぎにぎって音がしそうな程、空いていた手で銀さんは僕が差し出した手を握ってる。
いや、ホント意味分かんないですからね?
何ですか?って聞いても、んーんーとよく分からない返事。
酔っ払いの行動に理由を聞くだけ無駄と悟って、さっと銀さんの手から自分の手を取り戻すと今にも手から零れ落ちそうになっていたコップを救い上げる。
「ほら銀さん立って。着替えなくて良いから布団入って寝て下さい」
「えー銀さん立てなぃ〜」
またゴロンっと廊下に転がった銀さんに、ヒクリと米神の辺りがひくつのが分かった。
どんだけ手間掛けさせたら気が済むんだこのマダオ!!!
叫びたい!!もう、近所迷惑とか神楽ちゃんを起こしたらどうのこうの考えずに叫びたい!!
とは思っても、実際そうする事を抑えてしまうのが僕。
はぁっと肺の中を空にする勢いで溜息を吐いて、コップを置く為に一度立ち上がる。
足元で何処行くの〜とか喚く駄目な大人は無視。
使い終わったコップをざっと洗って、洗い籠に再び伏せる。
このまま和室に戻って寝てしまいたい衝動に駆られるけど、さすがに玄関先に酔っ払いを放置する訳にも行かずに渋々と戻った。
「銀さん立って」
ぐいぐいと銀さんの腕を掴んでもう一度引き起こすと肩に腕を掛ける。
自分で立ち上がる気がないのか、肩に掛かる重さは半端じゃない。
壁に突いた片手を支えに何とか立ち上がると、子泣き爺のように銀さんが覆い被さって来た。
肩じゃなくて首に回された両腕に危うく首を絞めかけられて、慌てて顎下の辺りでクロスする部分を両手で掴む。
完全に背負うには僕と銀さんには身長差があるし、悔しい事に僕はそこまで力が無い。
仕方なく、そのままの状態で進む。
「し〜んちゃ〜ん」
「はいはい、何ですか?」
「何時もご苦労さまですぅ〜」
「労わってくれるより、お酒飲むの止めてくれるとありがたいんですが」
まぁ、どうせ無理だろうけどと思いつつも、酔っ払いの不明慮な会話に付き合ってやる。
何を言ってるのか良く分からなくても、とりあえずはいはいと相槌を打っていれば満足らしい。
「新ちゃんの髪、イイ匂い〜」
「お風呂入りましたからね」
肩に埋めていた顔を上げて僕の髪の鼻先を突っ込んでいるのか、後頭部辺りに何かがコツコツと当たる。
痛い訳じゃないけど、擽ったくてしょうがない。
クスッと笑うと、当たる感触が柔らかい物に変わった。
またか・・・と、思わず溜息。
この柔らかい物の正体を、僕は知ってる。
銀さんの口唇だ。
銀さんは深酒するとキス魔になるらしくて、それを知らなかった最初の頃は焦った。
焦って、思わず何すんだ!!と叫んだけど、きょとんとした銀さんにあぁ、これは酔っ払いの悪ふざけなんだと諦めた。
その後も何度か頬や頭やらにキスをされて、好い加減酔っ払ってる銀さんにキスされるのも慣れる。
別に深い意味はないだろうし、キス魔になった銀さんの近くに偶々僕が居たってだけだろうし、朝になったら銀さんは何も覚えてない。
二日酔いでのたうってる所へさらに追い打ちを掛けるのも可哀想だと、言わないでいる。
ってか、一々突っ込むのも面倒臭いし。
これを神楽ちゃん相手にやった日にはさすがに実力行使に出るけど。
僕の場合は、口唇にさえされなきゃいいかって思うようになって来た。
でっかい犬か何かにじゃれ付かれてると思えば、軽く流せる。
人間の順応能力って凄い。
でも、最近ちょっと度が過ぎるんじゃないかなぁ〜と思いつつ、僕はやっと辿り着いた和室に敷いてあった布団の上に銀さんを転がした。
ベルトを外して着流しを引っぺがして布団を掛ける。
さすがに着替えさせるのは重労働なのでパス。
「おやすみなさい、銀さん」
すでに寝息を立ててる銀さんに苦笑いを浮かべながらも、一応就寝の挨拶を掛ければもごもごと銀さんの口唇が動いた。
それを見届けて、僕も少し離した位置に敷いていたもう一組の布団に潜り込む。
直ぐに襲って来た眠気にふぁっと一つ欠伸を零して、普段よりも短いだろう睡眠を取る為に目を閉じた・・・。
カチコチと、時間を刻む音がたっぷり響いた後、俺はむくりと起き上がる。
ボリボリと頭を掻いて隣を見れば、くぅくぅと穏やかな寝息を立てる新八。
小声で新八と呼び掛けてみたけど、早くも深い眠りに入っているのか返事は無い。
それを確かめてから、自分の左胸に手を当てる。
バクバクと、やばい位の振動。
酒のせいじゃなくて、顔は真っ赤になってる事が分かる。
まただよ、またやっちまったよ・・・。
酔ってキス魔になったフリして、介抱してくれる新八にキス。
最初は驚いてた新八も、最近じゃでっかい犬がじゃれてる程度に思ってるのか軽く流すようになった。
それを良い事に、何度も何度も繰り返す。
素面の状態で出来る筈も無い。
新八にとって俺は、職場の上司で、家族同然と言っても父親か年の離れた兄貴程度にしか思われてなくて・・・。
自分で言ってて凹んで来た。
あーあー・・・何時になったら素面の状態で新八にキス出来るんだろうなぁなんて、酔ったフリして触れるだけで精一杯の俺には、まだまだ先の事。
とりあえず、未だドキドキしている心臓が治まるのを待って寝るとすっか・・・。
目が覚めたら二日酔いにのたうつのを覚悟して・・・。
