「おはようございまーす」



毎朝、8時ちょうどに『万事屋銀ちゃん』にそんな声が響く・・・。










基本的な朝










トントン・・・と、広い訳でも眉を顰める程に狭い訳でもない、適度な空間を持った台所に小気味良い音。
その音の発信源は、割烹着姿の少年。
頭にはご丁寧に三角巾。
これがまた、違和感無く似合っているから驚きだ。
彼は『万事屋銀ちゃん』の一応の経営者『坂田銀時』の助手、志村新八16歳。
しかしながら、『助手』と言うのは自称である。



「さてと・・・」



中身の少ない冷蔵庫から取り出した食材を切り終えた新八は、包丁を一度置くと玄関脇にある押入れに向かった。
通常なら、無機物を入れるだけの其処は、新八の年下の同僚―神楽が寝起きする場所となっている。
ひょんな事から万事屋で住む事になったのは良いのだが、問題は寝る場所だった。
万事屋には、部屋と呼べる場所が二つしかない。
事務所兼居間と、銀時の寝起きする和室の二室。
さすがに、年頃の少女を銀時と同室にする訳にも行かず、さて困ったぞと銀時・・・ではなく新八が頭を悩ませていると、神楽は徐に押入れを開けてそれ程物の詰まって居ない事を確認すると、ココで良いネと指差したのだ。
確かに、小柄な神楽ならさほど窮屈な思いをする事はないだろうが、それはどうなんだ?と新八は眉を寄せた。
それでも、そうするしかないかと判断すると、押入れに入っていた物を一度全て取り出し、上段を空にして神楽の寝床を作ってやった。
中々悪くないネと、にひっと笑った神楽に新八も吊られて笑ったのである。



「神楽ちゃん起きて。朝だよ」



襖の木枠を軽く叩きながら声を掛けるが、中からの返事は無い。
もう一度ノックをしながら声を掛けるが、やはり返事は無かった。
今日もか・・・と言いたげに新八は小さく溜息を吐くと、開けるよと一応の声を掛けて押入れの戸を横に引く。
二回声を掛けても反応が無い場合、閉じられた襖を開ける事が出来る。
押入れで神楽が寝起きするようになった当初、外から声を掛けても起きない神楽に、段々と新八の声が大きくなり、うるせぇえぇぇぇえ!!!と、階下でスナックを経営する大家に怒鳴られた事があってからは直接起こす為に戸を開ける事を決めたのだ。



「神楽ちゃん起きて。朝だよ」



気持ち良さそうな幼い寝顔に多少の罪悪感を感じながらも、新八は軽く神楽の肩を揺する。
うぅんっと、むずがるように小さく呻きながらも神楽はのろのろと両瞼を開いた。



「おはよう、神楽ちゃん」



ぼんやりと見上げて来る青い瞳ににこりと笑い掛けて朝の挨拶を告げれば、ぬっと神楽の両腕が新八に向かって伸ばされる。
少しだけ身を乗り出せば、さも当然とばかりとその腕は新八の首に絡んだ。
寝起きのせいなのか、意図して加減されているのか、普段の怪力はなりを潜めきゅうっと抱き疲れても苦しくは無い。
新八も慣れた様子で神楽の両脇に腕を入れると、そのまま背中に腕を回して抱き起こす。



「はい、ちゃんと起きて」



ぐりぐりと首筋に押し付けられる小さな頭を撫でて、背中を優しく叩いてやればのろりと神楽は顔を上げた。



「おはようネ、新八」



にひっと笑った神楽に、新八も笑い返してもう一度おはようと言葉を返す。
此処で、二通りのパターンが発生する。
一つ目は、抱きついていた神楽は腕を緩めてそのまま何事もなかったように身体を離すパターン。
二つ目は、再び新八の首筋に顔を埋めて押入れの上段から抱き下ろして貰うまで離れないパターン。
今朝はと言うと・・・。



「もぉ・・・しょうがないなぁ」



苦笑いながら、新八は頭を撫でていた手も神楽の小さな背中に回してぐっと両腕に力を込める。
どうやら後者のパターンだったらしく、神楽は甘えるようにくふっと小さく鼻を鳴らすと少しだけ新八の首に回していた腕に力を込めた。
戸に足をぶつけないように注意しながら、抱き下ろすと言うよりは引き摺り下ろすと言う方が近い状態で、新八は神楽を押入れの外に下ろす。
ちゃんと両足で立った事を確認して、新八が腕を緩めると神楽もそれに促されるようにして腕から力を抜いた。



「腹減ったアル。朝飯ネ!」
「お腹が空いた。朝ご飯・・・ね?」



少女にしては乱暴な言葉使いをやんわりと窘めて、新八は神楽を洗面所へ促す。
はいヨー!とトタトタと軽快な足音を立てて洗面所に向かう神楽を追うように台所に戻ると、新八は朝食の支度の続きに取り掛かった。
先ずは鍋に水を満たして切り終わっていた野菜を放り込むと火に掛ける。
その間に、少し甘めの玉子焼きを手早く作ってしまう。
出来たてのそれを切り分けて皿に盛ると、今度は毎朝背負ってくる風呂敷を開いて、半透明のタッパーを取り出す。
中には、自宅から持って来た自家製のたくあんが収められていた。



「今日はたくあんがあるネ!」
「うん、そろそろ頃合かなって」



何時の間にか洗面所から出て来た神楽に後ろから覗き込まれながら、まな板の上にたくあんを乗せて輪切りにしていく。
リズミカルなその音に、神楽の瞳が輝いた。



「神楽ちゃん」
「ん?」



そんな気配を背後に感じて、新八はクスクスと笑いながら振り返ると何処か悪戯っぽく目を細める。



「あーん」
「あーん?」



きょとんとしながらも、どうやら口を開けるように促されている事に気付いた神楽は、小首を傾げながらも素直に口を開いた。
大きく開けられたその口に、ひょいっとたくあんの切れ端が放り込まれる。
パチパチと目を瞬かせながらも口を閉じて顎を上下させれば、ポリポリと小気味良い音がする。
じんわりと舌に広がるしょっぱさに、神楽の眦がにんまりと下がった。



「美味しい?」
「美味しいアル!早くもっと食べたいネ!!」
「じゃあ、銀さん起こして来てくれる?もう直ぐ朝ご飯出来るから」
「がっちゃんしょーちゃんネ!」
「合点承知ね」



微妙に間違った言い回しに素早く訂正を入れて、和室に向かって駆け出した神楽を見送ると、最後の味噌汁作りに取り掛かる。
味見をしている最中に和室の方から、グギャ!やらギャボ!等と悲鳴が聞こえた気がしたが、それらをスルーして新八は出来た朝食を事務所兼居間に運んだ。



「新八〜銀ちゃん起きないアル」
「そう・・・僕が起こすから、台所からお茶碗と炊飯器持って来てくれる?」
「はいヨ!」



ひょっこりと和室から顔を出した神楽に苦笑いを浮かべると、神楽の代わりに和室へ向かう。
ひょいっと中を覗き込むと、煎餅布団の上で仰向けに転がる銀時の姿。
慣れた足取りで近付いて顔を覗き込めば、一応目を開いているが白目を剥いておまけに口の端から泡を噴いていた。
神楽の銀時の起こし方は日によって違う。
蹴り起こす日もあれば、両頬を抓って起こす日もある。
そのどちらかである日は、大抵の場合朝から銀時の怒鳴り声が聞こえるが、今日はその代わりに悲鳴が聞こえた。



「今日はモーニングドロップか・・・」



ぼそりと呟いて、新八は未だ白目を剥いたままの銀時の傍らに膝を折る。
銀時にとって一番最悪の起こされ方は、神楽の『モーニングドロップ』と命名された物。
早い話しが勢いを付けてジャンプして、その勢いのまま腹の上に着地する事である。
これも日によって着地の仕方が違って、どすんと腹の上に座るように着地するのが一番被害の少ない方法で・・・両膝、両足の裏、肘鉄の順で危険度が増す。
さて、今日はどれだったんだろう?と思いながら、新八は銀時の頬に手を伸ばした。



「銀さん。銀さーん。起きて下さーい」



ペチペチと頬を叩きながら、意識の覚醒を促す。
ついでに、口の端に溢れている泡を割烹着の袖で拭ってやる。
軽く肩も揺すれば、一度ぎゅっと両目が閉じられてうぅっと低い唸り声が上がった。



「銀さん?起きました?」
「起きた・・・ってか、もう少しで永眠させられる所だったつうの・・・」
「あー・・・今日は肘でしたか・・・」



眉を顰めながら腹を擦る銀時に苦笑いつつ、ポンポンと慰めるようにその手を軽く叩いてやる。



「おはようございます銀さん」
「あーおはよ、新八」
「もう朝食出来てますからね。早くしないと全部神楽ちゃんに食べられちゃいますよ?」



だから早く起きろと、新八は腹の上に置かれていた銀時の手を取ると軽く引っ張った。
あーとかうーと唸っていた銀時は何を思ったか、引っ張られる手で逆に新八の手を掴むと引っ張り返す。
突然の事に、あっと声を上げると同時に新八の身体は銀時の腕に抱き込まれていた。



「・・・何やってんですか」
「銀さんほら、朝っぱらかバイオレンスな起こされ方されて傷心だし?」
「だったら自分で起きる努力をして下さい。ってか、離せやコノヤロー」



銀時の拘束から逃れようともがく新八を押さえ付けるように力を込めると、むっと眉を顰めて睨み上げられる。
そんな風に睨まれても、可愛いと思うだけで少しも恐さを感じる事はなく、銀時はにやんと笑った。



「つう訳で・・・新ちゃんよ。おはようのちゅーして」
「何がつう訳ですか。ついに糖が脳まで回りましたか?この糖尿が」
「いやいやいやいや、銀さんまだ糖尿じゃないからね?寸前だからね?」
「糖尿に片足突っ込んでるような人間が何を今更。いいから離して下さい。僕これからやる事沢山あるんですから!」
「新ちゃんがちゅーしてくれるまで銀さん離さなぁ〜い」
「いい年したオッサンがちゅー言うな!もぉ!!はーなーせー!!!」
「いーやー」



腕の中で諦め悪くもがく新八に、ニヤニヤと締まりの無い笑みを浮かべながら新八の出方を伺う。
と・・・不意にもがくのを止めて大人しくなった新八に、軽く片眉を跳ね上げた。



「銀さん・・・」
「ん?何々?ちゅーしてくれる気になった?」



ぼそりと呼ばれた事に喜々としながら顔を覗き込めば、にっこりと微笑み掛けられる。



「何処がいいですか?」
「え?リクエストOKなの?」
「えぇ・・・拳ですけど



微笑を浮かべたままぐっと拳を握る新八をよくよく見れば、米神に青筋が浮かんでいた。
やばいと思った次の瞬間には抱き込まれているにも関わらず十分な重みを乗せられた拳が、まさに傷口に塩を塗り込む勢いで神楽のモーニングドロップを食らった腹部にめり込む。



「毎朝毎朝こりないネ」



和室から本日二度目の悲鳴が響いた事に、神楽は呆れたように溜息を吐いてぐぅっと腹の虫を鳴らした・・・。



自称は万事屋銀ちゃん一応でも社長の銀時の助手。
けれども、他称は坂田家の幼妻兼マミィな新八の朝は、こんな風にして始まるのだ。















Happy days start!!