待つしか出来ないのが、ひどく歯痒い。










この手じゃない・・・










夢を見ました。
不思議で・・・でも、何処か悲しくて寂しい夢を。
まっ白な世界の中で、黒一色の扉だけがポツリ。
装飾はまったく無くて、扉の筈なのにドアノブすらない。
僕はどうにかしてその扉を開こうとした。
でも、ドアノブが無いから押す事しか出来ない。
引く扉なのか、ビクともしなかった。
この扉の向こうには、寂しいとか悲しいとか・・・そんな物しかないのは何故だか分かったけれど、どうしても開けたかった。
どうにか出来ないかと扉の前でウロウロしてみたけど無駄。
もう一度、そっと扉に触れて夢の中で目を閉じた・・・。










洗い物をする手を止めて、壁を隔てた事務所兼居間の様子を伺う。
神楽ちゃんは昼食を食べ終わると定春を連れて遊びに行ってしまったから、其処に居るのは銀さんだけだ。
TVの音はしないからソファで雑魚寝をしているか、ジャンプを読んでいるかのどちらかだろうけど、何となくそのどちらでもない気がする。
今日の銀さんは何処と無く変だと思う。
やる気が無いのは何時も事だけど、そう言う感じじゃなくて心此処に在らずと言うか・・・とにかく、変としか言いようがなかった。
具合でも悪いのだろうかと首を傾げた後に、ウダウダと考える位ならさっさと確かめた方が早いと、止めていた手を再び動かす。
泡を洗い流した物を籠に入れて、割烹着の裾で濡れた手を拭くと居間に向かった。
居間に入ると、出入り口側にあるソファにだらりと座る銀さんがぼんやりと天井を見上げていた。
声を掛けて顔を覗き込めば、死んだ魚のような目が何時も以上に濁ってる。
それを指摘しても、普段なら何か言い返されるはずなのに何も返って来なかった。
熱は無いようだけどこっちの調子まで狂いそうで、今日一日は寝てて貰う事に決める。
こんならしくない銀さんを見てるのは、何か嫌だ。
ダルそうに和室に敷いた布団に転がる銀さんを確認して、大きな物音を立てないように注意して掃除。
毎日掃除はしてるから、埃が溜まってる訳でもなく短時間で終わってしまった。
洗濯物を取り込むには早過ぎるし、何より銀さんを起こしてしまうかもしれない。
買出しは、タイムセールまでまだ時間がある。
さてどうしようか・・・と、お茶を片手にソファに座って考えてみるけど良い案が浮かばずに溜息を吐いた。
お茶を飲み干して深くソファに凭れ掛かると、不意に圧し掛かって来る睡魔。
そう言えば、今日は小春日和と言うに相応しい陽気だ。
眠くなっても仕方ないかと、欠伸を一つして少しだけとトロトロ両瞼を下ろした。










かくりと、首が下がった衝撃で目を覚ます。
パチパチと目を瞬かせて辺りを見渡すと、窓から差し込む陽の光りで出来た影が幾らか角を変えていた。
でも、それほど長い時間眠っていた訳じゃ無さそうだ。
多分、30分は経っていないと思う。
掛けたままだった眼鏡を押し上げてまだ眠気の残る目を擦ると、和室の襖が視界に入った。
この襖の向こうで銀さんが眠っているんだと思い出すと、何かがすとんと僕の中に落ちて来る。
あぁ、そうか。と、何がそうなのかと疑問に思う間もなく納得していた。
立ち上がって、足音を立てないように注意しながら和室に向かう。
小さな声を掛けても返事は無くて、聞こえなかったのか、それとも眠っているか分からなかったけど、そっと襖を開けた。
障子を開けたままだから遠慮なく差し込む陽射しから逃げるように、銀さんは横を向いて眠っている。
僕は、日差しを遮るように銀さんの背中側に回ると膝を折った。
起こしてしまうかも・・・とは思ったけれど、そろりと手を伸ばしてその生き様を現したかのように奔放に跳ねる白銀の髪に触れる。
銀さんはこの髪を嫌ってるようだけど、僕は結構良いんじゃないかって思う。
少し細めの髪は柔らかくて、毛足の長い猫のような手触り。
そう言えば、銀さんって猫っぽい所あるなぁ・・・。
あぁ、やっぱりこの髪はこの人の生き様を現してるんだと、小さく笑った。
指先だけで、繰り返し繰り返し白銀の髪を撫でる。
撫でながら、一度目を閉じる。
瞼の裏に浮かんだのは、夢の中で見たあの扉。
どうしてか、あの扉の向こうには銀さんが居るような気がした。



「銀さん」



少しだけ掠れた声で、眠る銀さんに呼び掛ける。
返事は最初から期待してないから、別に構わない。

銀さん、銀さん。
僕はどうしてか、夢で見た扉の向こうにアンタが居る気がするんです。
僕はその扉を開けたいんです。
でも、ドアノブも何も無いんです。
だから、だから・・・。



「銀さん・・・早く、気付いて下さい」



あの扉を開ける事の出来るのはアンタの手だけなんです。



「鍵なんて、掛かってないんですから」



眠る銀さんの耳元でそっと囁いた言葉は、僕にも聞こえない声だった。















END?