それこそが至上の幸福と・・・。










一番の約束










昼間の暑さを忘れたかのように適度な冷たさを孕む夜風に頬を撫でられて、新八は心地良さそうに目を細めた。
軒下に吊るした風鈴が、チリリンっと静かで涼やかな音色を奏でる。
風に煽られて頬を掠める髪を片耳に掛けると、キシリと板が軋む音が聞こえた。


「眠れねぇの?新ちゃん」



振り返るよりも早く、聞き慣れた声が新八の鼓膜を振るわせる。
ゆっくりと一度瞬きすると、新八は苦笑いに近いながらも穏やかな笑みを浮かべて声の主を見上げた。



「今日は、何だか眠るのも惜しい気がするもので」
「ふーん」



新八の言葉を理解しているのか理解していないのか微妙な相槌を打ちながら、わしわしと髪の中に手を突っ込んで掻き回すと、銀時は腰を下ろす。
普通『腰を下ろす』と言う行為は、赤の他人同士であれば人一人分空けて。
知人であれば方が触れないように拳一つ分空けて。
もっと親密な仲であれば肩が触れ合う位に近く。
だが、銀時が選んだのはそのどれでもなく、当然とばかりに新八の後ろに座り込むと文句を言われるよりも早く両腕を巻きつかせて、すっぽりとその身体を抱き込んだ。



「普通に座れないんですか、アンタ・・・」



二の腕の中程を押さえるようにして銀時の腕が覆い被さっている上に、膝の上で遊ばせていた両手も一回りも大きな手で絡め取られ、新八は小さく溜息を吐いた。
振り払おうと思えば振り払えない訳ではない。
確かに、銀時の方が体格も力も新八よりも上ではあるが、新八に回された両腕にはこの状態を強制しようとする程の力は込められてはいないのだ。
つまり、新八は文句を呟きながらもこれを甘受している。



「んー新八よぉ。銀さん前々から思ってたんだけど・・・」
「小さいとかほざきやがりましたら鼻フックデストロイヤーの刑に処します」
何その丁寧な死刑宣告!?ってか、違うっつうの!!」
「じゃあ何ですか?」



何時の間にか頭に乗せられていた銀時の顎を振り落として、下から覗き込むようにして振り返れば銀時はにへらと締まり無く笑う。



「『アンタ』って言うのはおかんっぽいからさ、此処は『アナタ』ってかぁいい奥さん的に・・・」



言ってよと締め括ろうとした言葉は、顎を狙った容赦ない新八の頭突きによって遮られた。
ガチンッ!!と痛そうな歯がぶつかり合う音がしたかと思うと、銀時は口を押さえてジタバタと悶える。
そんな銀時を尻目にさっさと立ち上がった新八は、冷笑を浮かべておやすみなさいと一言だけ残してその場を去った。










「口を開けば馬鹿な事ばっかり言って!!」



誰がかぁいい奥さん!?と憤慨しながら、新八は自室に敷いた布団に寝転がる。
まったく、人が良い気分に浸ってたって言うのにと、新八は乱暴にタオルケットを被った。
電気を消した部屋の中、カチコチと時計が時間を刻む音が響く。
枕元に置いた目覚まし時計を手繰り寄せると、時間はもう三十分もすれば今日を終えるような時刻。
やんわりと差し込む月明かりを頼りに、部屋の隅で小さな小山を作っているそれを見詰めて新八はふふっと小さく笑い声を零した。

八月十二日

今日、新八はまた一つ年を重ねた。
日々仕事に忙殺されて・・・と、言えればどんなに良い事か・・・実際は、第二の家と呼べる職場での家事に忙殺されて日付を確認する暇も無いような新八は、すっかり自分の誕生日を忘れていたのだ。
前日の八月十一日に、銀時から明日は休んで良いよと突然言われて首を傾げたが、日頃自宅の方の家事まで手が回ってなかったのでこれ幸いと新八は特に疑問を持つ事無く頷いた。
そして今朝、出勤する日と同じ時間に目を覚ました新八は、手早く朝食の支度をして姉弟二人きりの朝食を済ませると、朝食の片付け、天気が良いので洗濯と布団干し。
さらに、普段は忙しくて手の付けられない部屋の掃除とクルクルと家事をこなした。
夕方近くになって、今日は仕事が休みだと言う事で家に居た妙に、少し遠出になるお使いを頼まれた事にも何の疑問も持つ事無く、夕食は僕が作りますからと念を押して家を出た。
電車を使えば往復二十分も掛からないが、僅かでも出費を減らそうと当然新八は徒歩で店に向かう。
帰宅したのは、家を出て一時間を過ぎる頃だった。



「た・・・」



パーンッ!!!



玄関のガラス戸を開けて帰宅の挨拶をしようとした新八を遮って響いた幾つもの破裂音に、目を丸くする。
ひらひらと視界一杯に舞う色とりどりの紙吹雪と紙製の細いテープに、う?え?は?と意味の無い言葉を思わず漏らした。
ポカンとした表情を浮かべる新八に、見慣れた面々がしてやったりとニタリと笑みを浮かべて・・・。



誕生日おめでとう!!!



と、合唱された。
未だ唖然とする新八の手を神楽と妙が取って、道場に引っ張り込んだ。
其処は、常ならばガランと静かな空間でしか無い筈ではあったが、今日この時だけはその静寂を忘れている有様。
道場の真ん中には大きな長机を二つ並べて、その上には和・洋・中お構い無しの料理がずらり。
壁際にはジュースよりも一升瓶やらビールが多く用意されている。
ビールなどケースが二段も積まれていた。
壁は、折り紙の輪で繋いだ物やらメタリックカラーのモールで賑やかに飾り付けられ、上座には『新八君お誕生日おめでとう!!』と横断幕まで掛かっている。
それら全てを黒い大きな瞳に納めても、新八はまだ信じられないと言う表情をしていた。
じわじわと、乾いた地面に水が染み込むような感情を何と呼べば良いのか分からないままに、新八は表情をくしゃりとさせる。



「皆さん・・・ありがとう、ございます」



やっと音にする事が出来た言葉は、少しだけ震えていた。
それを誰も揶揄う事無く上座に新八を座らせると、近藤が代表して乾杯の音頭を取った後は大騒ぎになった。

食う・飲む・騒ぐ・怒る・笑う。

どんちゃん騒ぎの合間を縫って、それぞれがそっと誕生日プレゼントだと言って何処か照れ臭そうに渡す品々に、新八は殊更笑みを深める。
そして、今日のメインだと銀時が運んで来た新八の腕で輪を作った程に大きな誕生日ケーキに瞳を輝かせた。
お決まりのバースディソングの合唱が終わるのを待って、去年よりも一本増えた蝋燭を吹き消せば、何度目かのおめでとうの声が上がる。
新八は嬉しそうに微笑むと、ありがとうございますと声を震わせる事無く言葉を返した。
それからまた一騒ぎして、祝いに来てくれた面々を見送ると、新八の誕生日を祝う会はそっと幕を下ろした。
銀時と神楽は、新八が誘って今夜はお泊りだ。
こんな時間だから、二人はもう眠っている頃だろう。
明日の朝ご飯は何にしようかと考えていると、不意に人の気配を感じて思考を止めた。
慌てて目を閉じれば、そろそろと暗い部屋の中を人が動いて枕元に座る気配。
どうやら、先程痛烈な一撃を食らった銀時が復活して来たようだ。



「しーんぱーちくーん・・・寝ちった?」



静かに問う銀時に笑ってしまいそうになるのを堪えて、次に取るだろう行動を新八は待つ。
案の定、座り込んだ銀時が動き小さく畳みが鳴った。
ぐっと近くなる気配に、タイミングを合わせて新八は両腕を伸ばすと素早く銀時の首に絡める。
おぉ!?と慌てた声を上げて、銀時は新八の身体に覆い被さるように布団の上に手を付いた。
肩口に顔を埋めてくすくすと笑う新八に、銀時は面白く無さそうに口唇を尖らせるが、浮いた背中に腕を回してしっかりとその身体を抱き締める。



「銀さん」
「んー?」
「ありがとうございます」
「ケーキそんな美味かった?」



銀さんの中でも今までの最高傑作だったからなぁっと何時もの調子で続ける銀時に、それもですけどと新八が笑う。
肩口に埋めていた顔を上げて、新八は銀時の顔を覗き込んだ。
ぱちりと互いの目が合った途端、銀時は落ち着かない様子で視線を逸らせる。
そんな銀時の態度に、あの大騒ぎの中こっそりと近藤が教えてくれた事が本当だったのだと新八は確信した。



「皆を集めてくれたの銀さんでしょう?」



あくまで疑問系ではあるが、銀時を見上げる黒い瞳は確信に満ちている。
さぁ吐けと言わんばかりに見詰められて、あーっと銀時は俯きながら唸り、片手で自分の髪を掻き乱した。
そして諦めたように一つ溜息を零すと顔を上げる。



「本当はさぁ・・・俺と神楽とお妙で祝えばいいよなぁって思ってたんだ。けどなぁ、お前と出会って初めての誕生日じゃん?何つうかこぉどかーんっと思いっきり大騒ぎしながら祝ってやりてぇなぁって思って・・・」



気付いたら、知り合いに声を掛け捲って集めていたんだと銀時は照れ臭さを隠す為か、拗ねたように口唇を尖らせていた。
新八はそっと目を細めると、首に回していた腕を解いて指先で銀時の米神に触れた。
ゆるりと輪郭を確かめるように指先を滑らせれば、銀時は擽ったそうに目を細める。



「銀さん・・・」
「ん?」
「僕ね、母は物心付く前に亡くなっていましたから、父上と姉上の二人が祝ってくれた記憶しかありません。父上が亡くなってからは、姉上からの毎年『おめでとう』の言葉だけが僕の誕生日でした」



顎先まで指先で辿り終えると、新八は再び銀時の肩口に顔を埋めた。
背中と腰に回された腕に、ぐっと力を込められて新八はすんっと小さく鼻を鳴らす。



「こんなに賑やかな誕生日、初めてです。ありがとうございます、銀さん」
「俺ぁ大した事してねぇよ。料理は真選組連中が用意したし、酒はババァだ。飾りは神楽とお妙だしな。やったのは、人集めとケーキ作ったくれぇだっての」
「はい・・・それでも、ありがとうございます」



素直に礼を受け入れてくれない天邪鬼な銀時に、ふふっと新八は笑った。
大した事はしてないと銀時は言うけれど、銀時が今日の事を言い出さなければ神楽と妙はともかく、真選組の面々やお登勢達等は、今日が新八の誕生日だとは知らずに居た事だろう。
銀時が最初に考えていた通り、三人で新八を祝ってもきっと賑やかだった。
だけど、それ以上の賑やかさと沢山のおめでとうを新八に齎したのは、やはり銀時なのだ。
不意に新八の身体に回されていた腕の力が弛んだかと思うと、覆い被さっていた銀時の身体が離れた。
起き上がった銀時を見上げて首を傾げれば、腕を引かれて起き上がるように促される。
促されるままに起き上がった新八は、きちんと膝を揃えて正座すると銀時と向かい合った。



「あーその、何だ・・・」



そっぽを向いて落ち着かない様子で頭を掻く銀時に、新八は目を瞬かせる。



「こう言う場合はさ、指輪とか出してカッコよく決めるべきなんだけどよぉ」
「銀さんの懐具合では無理ですね」
「言い切らなくてもよくね!?よくね!?その通りだけどさ!!ってか、雰囲気ぶち壊すってどうなの!?」
「銀さんが言い出したんじゃないですか」



そんな事言われたら僕が突っ込むの分かってるでしょう?と新八が笑えば、ですよねぇと銀時は苦笑う。
胡坐を掻いていた銀時はその足を新八の身体の両脇に投げ出すと、距離を詰めた。
膝の上に当然のように揃えられていた手を取ると、お互いの額をコツリと合わせて間近で新八の瞳を覗き込む。
普段の死んだ魚のような瞳とは違う真っ直ぐで強い視線に、新八は呼吸をするのを忘れそうになった。



「あのな、新八」
「はい、銀さん」
「高価なプレゼントはやれねぇけどさ・・・約束する」
「約束?」



言葉を確かめるように繰り返せば、銀時は小さく頷く。



「今年は、皆で一斉におめでとうって言ったけど、来年は誰よりも・・・お妙よりも先に・・・俺が、一番に新八におめでとうって言う」



己の手の中に収まる新八の手を、銀時は少しだけ強く握った。



「それは・・・来年だけ、ですか?」



僅かに震える声で問い、新八も銀時の手を握り返す。
薄く涙の膜を張る黒い瞳に、ふっと銀時は笑った。



「来年も再来年も、五年後も十年後も、新八の髪が白髪だらけになって顔も皺くちゃになっても、俺が一番に言う。誕生日おめでとうって、生まれて来てくれてありがとうって」



耐え切れなかったのか、ぽたりと瞳から雫が零れる。
ぽたりぽたりと涙を零しながらも、新八は透き通る紅玉に似た瞳をただただ見詰め返した。



「お前の隣で一緒に生きて一番に言うよ、新八。約束すっから」



ふわりと銀時が微笑んで、新八はくしゃりと表情を崩した。
何時だって、何かある度に死と隣り合わせで立つ男が、一緒に生きると言う。

己の隣で一緒に生きると・・・。

口唇の動きだけで銀時の名を呼び、両腕を伸ばすと縋るように首に回す。
泣きじゃくる新八を、銀時は強く抱き締めた。



「約束、ですからねっ!!破ったら、承知、しませんっ!!」
「おうともよ。・・・ってかよ、新八」
「何ですか?」



ずっと鼻を啜って上目使いで銀時を見上げれば、相変わらず真剣な瞳。



「約束破らない為に、新八も俺の隣にいねぇと駄目だかんな?」



銀さん嘘吐きになりたくねぇからと言う銀時に、新八は笑って頷いた。
頷いた新八ににひっと銀時は笑うと、零れた涙を口唇で拭う。
両目尻に残る涙を吸い取ってふと視線を動かせば、視線の先には秒針がもう一回りすれば今日が昨日になる所だった。



「新八」
「はい?」
「今年は一番最初に言えなかったから、一番最後に言うな」



互いの口唇が触れる程に顔を寄せて、銀時は目を細める。



「誕生日おめでとう。生まれて来てくれてありがとう。銀さんは新八君が大好きです」



ちゃかすように言葉を綴るけれど、新八の瞳を見詰める銀時の瞳は何処までも甘く優しい。



「ありがとうございます。僕も銀さんが大好きです」



そっと囁いた新八の口唇を銀時の口唇が塞いだその時、時計は日付が変わった事をカチリと静かに告げる。
こうして、新八の新しい一年の始まりは、驚きと喜びと幸せを詰め込んで優しく終わった・・・。
















Happy Bath Day!!!