結局原点はそれらしい。 中編
すぅっと意識が浮上するのを感じて、パカリと両目を開いた。
ぼやける視界を緩慢な瞬きを繰り返す事でクリアにして、視界一杯に広がる天井を見詰める。
此処二週間程で漸く見慣れた、自分の部屋だと言う天上じゃない事だけは分かった。
どうやら、自分は知らない場所で布団に寝かされているらしい。
「目ぇ覚めたか?」
此処は何処だろうかと考えていると、それを読み取ったかのようなタイミングで声を掛けられ、ゆっくりと視線を向ける。
其処には、此方に背を向けながら文机に向かう誰かの姿。
見慣れない後ろ姿に、誰だったっけ?とまた考えていると、またタイミング良くその人が身体ごと振り返った。
何処かで会った事があるなぁっと思って、一度目を閉じて少ない記憶を辿る。
その中で、何とか見つける事が出来た。
「真選組の・・・副長さん・・・」
「土方だ」
無意識の内にポツリと呟けば、直ぐに訂正される。
土方土方と声に出さずに頭の中だけで繰り返せば、確かにそうだったと漸く少ない記憶が噛み合う。
副長さん・・・土方さんは、咥えていた煙草を文机の片隅に置いてあった灰皿に押し付けると立ち上がって、自分の枕元に来ると胡坐を掻いて座った。
「気分はどうだ?医者は貧血だって言ってたが」
「あ・・・えっと、大丈夫です」
「そうか。じゃあ訊くがな。オメェ、どの位まともに眠ってねぇんだ?」
「・・・ちゃんと、寝てます」
一応形式は疑問系ではあったけど、確信の篭った声音に何でかバツが悪くなって誤魔化すような言葉を紡いでいた。
と、はぁーっと盛大の溜息を吐いた土方さんに、顔に掛かっていた前髪をぐぃっと掻き揚げられる。
意味が分からずに目を瞬かせていると、顔を覗き込まれた。
「目の下に、こんだけ立派な隈作ってる奴が『ちゃんと寝てます』って言って、誰が信じるってんだ」
きぱっとした言葉に思わずうっと言葉に詰まれば、もう一度どの位まともに眠ってねぇんだと問われる。
「・・・二、三日位・・・」
もごもごと呟けば、土方さんの片眉が微かに動いただけで前髪を押さえる手は退けられる事は無い。
嘘だってバレて・・・ますよねぇー・・・。
「・・・四、五日位・・・」
「で?本当は?」
こ、この人怖い。瞳孔開き気味の目でめっちゃ見下ろして来るんだもんよぉ・・・。
いや、嘘吐いてる自分が悪いんだけど・・・。
どうやら、この人には口先だけの嘘は通用しないらしい。
「一週間位・・・です」
根負けして本当の事を告げれば、じっと目を覗き込まれた後溜息を吐かれ、前髪を押さえていた手でペシッと額を叩かれた。
イテッと反射的に呟けば、痛くて当然だと言われる。
「飯はちゃんと食ってんのか?」
「えっと・・・あんまり食欲無くて・・・」
「それも一週間位ぇ前からか?」
「・・・はい」
今度は嘘を吐かずに正直に答えたけど、また溜息を吐かれすっと額の上に手を翳された。
ひゅっとそのまま額に向かって掌が落ちて来て、衝撃に供えて反射的に両目をぎゅっと閉じれば・・・ポスッと音を立ててその手は軌道を変え頭の上に落とされる。
そして、わしゃわしゃと無言で撫でられた。
「あの・・・?」
「とりあえず、腹の中に溜め込んでるもん吐き出せ」
「え・・・?」
「俺は、オメェの相談役みてぇなもんだったしな。他言もしねぇよ」
「相談役って言う位・・・土方さんに相談してたんですか?」
「あーまぁな。身長を伸ばすにはどうしたらいいのかとか、体重増やす為にどうすればいいのかとか。
天パを抹殺するにはどうすればいいのかとか」
「いやいやいや。天パって銀時さんの事ですよね?父親の事抹殺しようとしてたんですか?
ってか、それに対して土方さんは何て答えたんですか?」
「国家権力、舐めんなよ?って」
「揉み消す気満々の答えですよね?職権乱用ってレベルじゃないですよね?」
「そう言う感じの相談を色々とだな」
「あれ?何か流しました?もの凄くさらりと流しました?」
「とにかくそう言う事だ」
だから安心して吐き出せと、土方さんは言った。
いや、安心していいのか分からないんですけど。
何か物騒な相談をさらりとしちゃってたんですけど、自分。
あ、逆に考えれば、そう言う物騒な事も相談出来る位信頼してたって事か。
自分の事の筈なのに、他人事にしか思えなくて思わず苦笑いが零れた。
他人事にしか思えないまま・・・なんだ。
「朝が・・・・」
「ん?」
ぽつりと呟いた言葉に、土方さんは少しだけ首を傾げた。
そこで一度口を閉ざせば、頭を撫でられる。
どうして自分が、この人に色々と相談していたのか分かった気がした。
決して、急かそうとはしないのだ。
あくまで、自分のペースで自分の言葉で話すのをただ待ってくれる。
突き放す訳でもなく、踏み込む訳でもない絶妙な距離で。
だから目を閉じて、細く息を吐いてゆっくりと口唇を動かした。
「朝が・・・来るのが怖いんです。
夜おやすみなさいって挨拶して、朝になっておはようございますって挨拶すると、分かっちゃうんですね。自分の記憶が戻ってないって事が。もう、あれから二週間近く経つのに、何一つ思い出せてない事が。
一番身近な筈の家族の事を何一つ思い出せなくて・・・悲しい想いをさせてるって分かってるのに。
早く、思い出さなきゃいけないのに。でも、全然思い出せない事が申し訳なくて・・・。
朝になったら何か思い出せてるかもしれないって思っても、思い出せてなかったらって思ったら・・・。
朝が来るのが怖くて、眠らなきゃって思いながらも眠れなくて・・・っ」
もう・・・自分で何が言いたいのか分からなくなり始めていた。
ぐぅっと喉の奥で何かか詰まるような錯覚を覚えながら、ただ、口唇を動かして言葉を吐き出し続ける。
「もう、嫌なのに・・・っ。皆に、悲しい顔何かして欲しくないのに・・・っ。
どんなに思い出そうとしても、何も思い出せなくて・・・っ!!」
其処まで言い切って、はっと短く息を吐き出せば頭にあった手が、両目の上に置かれた。
瞼を透かして感じていた陽の光が完全に遮られて、確かな暗闇が落ちて来る。
「オメェは記憶があろうがなかろうが、何も変わらねぇな・・・」
苦笑い染みたその声音に、意味が分からず両目を塞がれたまま少しだけ顔を土方さんの方へ向けた。
「辛ぇのはオメェもだろ?なのに、人の事ばっかり気にしやがって。
オメェはまだ十五の餓鬼なんだからよ。自分の事だけ考えてりゃいいんだっつうの。
第一、今回の事はオメェのせいじゃねぇだろうが。記憶だってなぁ戻る時には戻んだよ。
だからその事でウダウダ考えんのは止めろ。それよりオメェにはやんなきゃいけねぇ事があんだろうが」
「やらなきゃいけない事・・・?」
記憶を取り戻す事以上にやらなきゃいけない事が分からず、土方さんの掌の下で目を瞬かせた。
「とりあえず、何も考えずに寝ろ。そんで、目が覚めたら飯を食え。
一週間程度でどんだけ痩せてんだよオメェは。背負った時に驚いたじゃねぇか」
「・・・すみません」
そう言われて、橋の上で立ち眩みを起こした時に無理矢理背負われた事を思い出した。
・・・そう言えば、その辺から記憶が飛んでる。そんなに貧血が酷かったんだろうか?
何か、後頭部の下辺りが微妙に痛むのは何でだ?
「謝る暇があんなら寝ろ」
「はい・・・」
ぶっきら棒な命令口調だけど、自分を心配してくれる事が分かる声に、少しだけ口元が緩む。
未だに両目を塞ぐ掌の下で目を閉じれば、それに気付いたのか掌が微かに浮いた。
反射的に袖口を掴んだら微かに笑う気配の後、寝るまでこうしててやると浮いた分の間を戻される。
咄嗟の自分の行動が妙に子供染みていた事を自覚して、慌てて袖口から手を放しすみませんと謝れば、違ぇだろうがと言われた。
少し考えて、ありがとうございますと言い直せば、応と短い答えが返って来る。
それに安心して、深い呼吸をゆっくりと繰り返した。
一週間ほど、明け方の短い時間だけしか睡眠を取っていなかったせいか、とろりとした濃い睡魔が忍び寄って来る。
それに抗わず意識を手離せば、すぅーっと深い水の底に沈んで行くような錯覚を覚えるのが早いか、ぷつんと意識が途絶えた。
呼吸のリズムが意識した物ではなく無意識な物に変わったのを確かめて、閃時の両目を塞いでいた手を除ける。
障子を梳かして差し込む陽の光で、眦がキラリと光った。
コイツが自分で気付いてたかどうかは分からねぇが、零れ落ちる寸前で何とか留まった涙。
武士の情けだと、気付く前に袖口で拭っておいてやる。
そう言えばと、思考を巡らせた。
閃時が弱音を吐くのを初めて聞いた気がする。
プライドが高いからか、ただの不器用故か・・・まだ十五の子供の癖に弱音を吐かない。
「・・・コイツの場合は後者だな」
何せ、両親があれだし姉貴もあれ。
弱音の吐き方何ざ教えて貰える筈もねぇ。
難儀な奴だと溜息を一つ零して立ち上がる。
足音を殺して障子を開ければ、不自然な程気配の無い男が一人、縁側に座り込んでいた。
音も無く障子を閉め、懐から煙草を取り出すと火を点ける。
深く煙を吸い込んでゆっくり吐き出してから、心持ち丸くなってる背中を蹴ってやった。
「・・・あにすんの、多串君」
「煩ぇ白髪頭。一応アイツの親父なんだからしゃきっとしろ、しゃきっと」
「一応じゃねぇよ。正真正銘閃時の父ちゃんですぅ」
けっと吐き捨てる万事屋の背中をもう一度蹴って、近くの柱に背中を預ける。
ふぅーっと、ワザと煙が其方に向かうように吐き出せば、止めろ煙いと心底嫌そうな声が上がるが無視。
「・・・ったく。盗み聞きするくれぇ心配なら、テメェが話し聞いてやりゃいいだろうが」
「それが出来りゃ苦労してねぇんだよ。分かれよ、この複雑な親心」
「生憎、親になった事が無いんでな。・・・新八は何て言ってんだ」
「閃時が望むなら、暫くそうした方が良いんじゃねぇかって言ってる。
閃時の好きにさせてやる方が、今は一番良いってよ。神楽もそう言ってた」
「オメェの嫁と娘の方がよっぽど分かってんな。誰かさんが前歴作ってやがるからよ」
ニヤリと笑って言い放てば、ぐぅっと万事屋は悔しそうに言葉を飲み込む。
常ならば、此方に言葉を飲み込ませに来る男に、逆に言葉を飲み込ませるのは実に清々しい。
それに気付いたのか、ちっと舌打ちを零して万事屋は立ち上がった。
ガリガリと頭を掻いた後。
「あーまぁ・・・その、何だ。閃時の事、頼むわ・・・」
本来なら、親である自分が何とかしてやりてぇんだろうが、今はそれは逆効果にしかならない事を痛感してんだろう。
気を失った閃時を屯所に運び込んでとりあえず万事屋に連絡を入れた時、大体の理由を予想して暫く真選組で預かろうかと提案していた。
結果的に、その予想は大当たりだった訳だが。
閃時の目の下の隈にもすっかり食欲が落ちて痩せちまった事にも気付いていても、気遣えば気遣う程、閃時はそれを隠してしまう。
ならば家族ではなく、かと言って赤の他人でもない俺の方が上手く距離を取り易いと思って。
それでも、心配してやって来るのはやはり親だから・・・か。
眠る閃時に気を使ってか、微かな足音すら立てずに去って行く万事屋の背中に俺は小さく肩を竦めた。
そして数時間後、辺りが茜色に染まる頃になって閃時は再び目を覚ました。
幾らか顔色も元に戻った事に安堵しつつも包み隠さず状況を話し、どうすると問えば。
暫し悩んだ後、小さく首を横に振った。
正直言えば、頷くと思っていたから少々驚いた。
「・・・皆さんが、そうやって色々と自分の為に考えてくれるのは凄く嬉しいし有り難いです。
でも・・・逃げちゃ駄目だと思うんです。記憶は戻るかもしれない。でも、戻らないかもしれない。
だから尚更、向き合わなきゃいけないと思うんです」
目を伏せてそう言う姿にそれ以上は何も言えず、そうかと応えを返してやるのが精一杯だった。
「それで・・・あの・・・」
少しの間、何かを考えるように口を閉ざしていた閃時が再び口を開いたが言い淀むのに、何だ?と続きを促す。
二、三度言葉を発しないまま口を開閉させた後黙ってしまったが、膝の上に置いてあった手をくっと握ると意を決したように改めて口を開いた。
「また限界が来たら、話しを聞いて貰っても良いですか・・・?」
俯いたままポツリと零された言葉に、ポンポンッと頭を掌で軽く叩いて了承を告げれば、ヘラッと閃時は笑みを浮かべた。
※すみません・・・後編に続きますorz
2009.07.08