買い物の帰り道、お腹の大きな女性を見かけた。
その隣には、旦那さんなのだろう買い物袋を右手に持って、大きなお腹を抱えてえっちらおっちらと歩く奥さんの肩を左手で抱いてその身体を支えてる男性の姿。
旦那さんが柔らかな微笑を浮かべて大きなお腹を愛しそうに見詰めながら何事か囁けば、奥さんはにこりと笑ってお腹を撫でる。
産まれて来る自分達の子供が待ち遠しいと言わんばかりの、とても幸せそうな光景だった。
何時かの話しには何の意味もなく
「ただいま戻りましたー」
と、言ってはみたもののそれに返される声は無い。
銀さんは久々に入った依頼に出ているし、神楽ちゃんは今日は仕事がお休みの姉上と一緒に買い物に出掛けている。
今夜はそのまま恒道館に泊まるらしい。
自分で玄関の鍵を開けたので、銀さんはまだ帰って来ていないと分かっていても、帰宅の挨拶を告げてしまうのは条件反射のようなものだ。
そのまま台所に真っ直ぐ向かって、買って来た物を片付ける。
それが終わったら、次は洗濯物を取り込みにベランダに向かった。
しっかりと乾いた洗濯物は、太陽の熱を吸い込み過ぎて熱い位だ。
じわりと浮かんだ額の汗を拭って、本格的な夏の到来もそう遠くないと実感する。
いっぱいになった洗濯籠を抱えて和室に戻ると、陽の差さない畳の上に引っ繰り返す。
出来た小さな小山を崩して熱を逃がしつつ、その隣に腰を下ろして洗濯物を畳み始めた。
夕飯の用意をするのは、これを全て畳んでしまった位が丁度良いだろうと思って。
開け放ったままの窓から温んだ風が吹き込んで来たが、これでも無いよりはマシだ。
そろそろ風鈴を窓辺に吊るそう。
体感的に涼しくは無いが、あの音色は心情的に涼しくしてくれる。
テレビ番組も、夏の特番と銘打って怪談物が多く放映されるだろう。
怖がりの癖に見栄を張って無理して見るだろう銀さんを想像したら、無意識の内にクスクスと笑っていた。
洗濯物を畳みながら、取り留めのない事に思考を巡らせる。
姉上の事、神楽ちゃんの事、定春の事、銀さんの事。
そして何故か・・・買い物の帰り道で見た、まだ若い夫婦の姿が脳裏を過ぎった。
見ているこちらが幸せになれそうな、そんな柔らかな光景。
なのに・・・。
何故こんなにも、胸の奥が苦しいのか。
袂を握り締めて深く息を吸い込んだ瞬間、ボロリと目から涙が零れ落ちた。
突然の事に呆然とする僕を他所に、涙は量を増してポロポロと零れて行く。
「なん・・・で?」
訳が分からず目許を袖で擦るが、涙が止まる気配は無い。
どうして良いのか分からず、只管目許を擦っていた僕は軽くパニックを起こしていたんだろう。
「新八ぃ?」
そう声を掛けられるまで、銀さんが帰宅した事に気付けなかった。
返事もせず、振り返る事もしない僕を不審に思ったのか、銀さんの手が肩に掛かる。
今、こんな顔を見られたくなくて逃げるように身体を捩れば、堪えようとしていた嗚咽が漏れた。
「新八?泣いてんのか?」
戸惑ったような銀さんの言葉に首を横に振るけど、嗚咽が零れた後ではそれを信じて貰える訳も無く、両肩を掴まれたかと思うと、半ば強引に振り向かされた。
それでも、頑なに顔を俯けていれば、頬を両手で包み込まれて顔を上げるように促される。
嫌だと首を振っても許して貰えず、殆ど無理矢理視線を合わさせられた。
瞬きした時に一瞬だけクリアになった視界の先、驚いて目を丸くする銀さんを認識した瞬間。
涙は止まる事無く、さらに溢れ出した。
「し、新八?え?ちょ・・・ホントどうしたよ?」
慌てる銀さんを他所に、僕はその場から逃げようと身体を動かすが、それよりも早く銀さんに抱き締められた。
銀さんは眼鏡を取り上げると両腕に力を込める。
こうなってしまえば、力の差に加えて体格差もある僕は逃げる事も出来ない。
正確には・・・腕の中に抱え込まれた時から、逃げる気力など根こそぎ何処かへ行ってしまっていた。
広い胸に頬を摺り寄せて、同じく広い背中に縋るように腕を回す。
「銀、さん・・・っ、銀さん・・・ごめん、なさい・・・っ」
自然と零れた謝罪の言葉に、何故自分が泣いているのか分かった。
僕には、あの人達のように当たり前の幸せを、この人にあげる事が出来ない事実を眼前に突き付けられたせいだ。
本当は、何時だってその事実は決して切り離す事の出来ない影のように僕の傍にあった。
でも、僕はそれから意図して目を逸らし続けていた。
だけど、もう・・・それは許されない。
似ていたのだ。とても。
奥さんの肩を抱いて、大きなお腹を愛しそうに見詰めたあの人の柔らかな微笑が、稀に見る事の出来る銀さんの微笑に。
僕等を、銀さんが大切にしてくれている事は決して自惚れではないと言い切れる。
同じ性を持つ僕を抱く時、その手に込められた恋慕の情に偽りは無いと信じられる。
だけど・・・僕では無理なのだ。
姉上と僕のように。神楽ちゃんと星海坊主さんのように。
血の絆を作ってあげる事が。
それでも、その手を離す事の出来ない僕のこの想いは。
この人が手に出来た筈の幸せを、自分の想いの為に奪い続ける僕は。
何と浅ましく忌むべき存在なのか。
「ごめん、なさい・・・っ、ごめんなさい、銀さん・・・っ」
「何の為に謝ってんのか銀さん分かんねぇよ。
謝りながらそんな風に泣くなよ。俺まで悲しくなんじゃねぇか・・・」
そう言って、銀さんは僕を抱く腕に力を込めた。
「なぁ、新八。何がそんなに悲しいんだ?何をそんなに謝ってんだ?」
戸惑いながらも、背中を頭を撫でてくれる手が優しくて、愛しくて・・・悲しくて。
一つしゃくり上げて、そろりと銀さんを見上げる。
「銀さん・・・」
「ん?」
「僕、銀さんが好きです。今も、これからも・・・ずっとずっと好きです。
まだ、子供の僕が一生何て言葉使うのは早いかもしれない・・・信じて貰えないかもしれないけど。
でも・・・一生銀さんを好きで居られる自信があります」
「え?何この滅茶苦茶嬉しい告白。何コレ。実は夢オチじゃねぇだろうな」
そう言いながら、自分の頬を抓る銀さんの姿に思わず笑ってしまったけど、直ぐにくしゃりと表情が崩れたのが自分でも分かった。
「だけど・・・僕には銀さんに当たり前の幸せをあげられない。
血の繋がった子供をその腕に抱いて、父親になる・・・そんな当たり前の幸せを」
これから先は、銀さんの目を見詰めて言う覚悟なんか出来なくて・・・僕は俯く。
「し・・・」
「だからっ!!」
銀さんが何か言おうするのを遮って、俯いたまま叫ぶ。
「だから・・・。何時か、銀さんがそんな当たり前の幸せを欲しいと願ったその時は・・・」
「そんな日は絶対に来ねぇ」
戸惑う事無く、僕の手を離して欲しいと言い掛けた言葉は、銀さんの言葉に押し込まれた。
怒鳴られた訳でもないに、その声に含まれる怒気の濃さにビクリと肩が震える。
「当たり前の幸せって何だよ」
「だから・・・それは・・・」
「世間一般じゃ、男は父親になるのが当たり前の幸せかもしんねぇよ。
けど、何で俺の幸せまでそれに当て嵌められなきゃ何ねぇ訳?」
ピリピリした声音に恐る恐ると視線を上げれば、眇められた紅い瞳の奥でチラチラと怒りの炎が揺らめいていた。
「だって・・・」
「だって何だよ」
「銀さん、苦しい・・・っ」
言葉を紡げば、ギリギリと胴を締め上げられる程に腕に力を込められ、苦しさに身を捩った。
だけど拘束は緩む事無く、逃げる事は許さないとばかりにさらに腕に力が篭る。
「言えよ。だって何だよ」
このまま、背骨を圧し折られるかもしれないと思いながらも、僕は促されるまま言葉を零す。
今日見た光景を銀さんに見せるように。
その人と銀さんがダブって見えた事も正直に話せば、ギリッと一際強く胴を締め上げられ、反射的に苦しさと痛みから逃れようと喉を逸らした。
不意に銀さんの拘束が緩んだかと思えば、逸らした喉に噛み付かれる。
硬質な歯の感触に、ヒクリと噛み付かれた喉が震えた。
食い千切る気だろうかとぼんやりと考えていれば、噛み付かれた箇所を強く吸い上げられて小さく声が零れる。
そのまま銀さんの口唇は首筋を辿って、僕の口唇を覆った。
最初から舌まで差し込まれる深い口付けに、どうして良いか分からないまま、僕の手は銀さんの腕を縋るように掴む。
耳を塞ぎたくなる程の水音と、舌を絡め取られた事で満足に呼吸出来ずに、さっきとは状況は違うが同じ息苦しさに、止まっていた筈の涙がホロリと零れた。
無意識の内に銀さんの腕に爪を立てた事で、僕の限界を察してくれたのか漸く苦しい口付けから解放された。
どっと肺に流れ込んできた新鮮な酸素に身体を丸めて咽ていると、大きな掌が背中を擦ってくれる。
人の背骨を圧し折ろうとしていた人間とは思えない程の柔らかい手付きで。
「新八」
「は・・・い」
凪いだ海のような静かな声で呼ばれ、恐る恐ると視線を上げる。
じっと見下ろして来る紅い瞳にはもう怒りの色が無い事に、知らず安堵の息が零れた。
でも・・・それも少しの間だけで、直ぐに何も言ってくれない銀さんに不安を感じて徐々に視線が下がる。
それに気付いた銀さんが、あーだのうーだと妙な声を上げるので、そろりと視線を少しだけ上に戻した。
銀さんはそっぽを向いて、ガシガシと項を掻いている。
普段は後頭部を掻く銀さんが、項を掻く時はバツが悪い時だ。
どうして今、その癖が出るのだろうかと首を傾げていると、もう一度あーと声を上げて銀さんが僕に視線を戻した。
「あのよぉ新八ぃ」
「はい」
「その・・・俺が悪かった」
「え・・・?」
突然の謝罪に益々意味が分からず首を傾げれば、だからと呟いて銀さんは続ける。
「ちゃんとよぉ・・・言葉にしてなかったから」
「何を・・・ですか?」
「いや・・・だからさぁ・・・。そのさぁ・・・」
歯切れの悪い銀さんに目を瞬かせれば、ぎゅっと抱き締められた。
優しく、包み込まれるように。
「俺ぁもう今で十分幸せ何だよ。新八が居て、神楽が居て、定春が居て・・・。
馬鹿で騒がしくて、ムカつく奴も居る・・・そんな今が、最高に幸せなんだよ。
だからさぁ。いらねぇよ、そんな世間一般的の当たり前な幸せ。
そんなん無くてもよぉ。新八。オメェがこの先ずっと・・・一生隣に居てくれるだけで俺ぁ幸せ何だよ。
だから、何時かの話し何か意味ねぇんだよ」
僕の首筋に顔を埋めながら、そう言ってくれる銀さんに目の奥がじんっと熱くなる。
銀さんっと言った筈なのに、僕の口唇は喘ぐように震えるだけで音を吐き出してはくれない。
「新八。オメェのこの先、全部俺にちょうだい。そんだけで、俺ぁ本当に幸せで居られる」
「・・・ぃ」
「大事にする。俺が持ってる力全部使って、オメェの事を大事にする。
だから新八・・・オメェの未来。全部俺にちょうだい」
ふわり耳元で囁かれた言葉に、ぶわりと涙が溢れた。
苦しくて悲しい涙じゃなくて、歓喜の涙が。
必死で銀さんの背中に腕を回して、声を上げて泣いた。
痛々しい程に赤く腫れた瞼に口付けて、まだ眦に僅かに残っていた涙を吸い取る。
声を上げて泣きながら、新八は繰り返し『全部あげます』と言った。
その新八は泣き疲れたのか、今は俺の腕の中で穏やかな寝息を立てている。
頬を撫でてやれば、ふにゃりと表情を緩めて擦り寄って来るその姿に、どうしようもない愛しさが湧き上がった。
額・瞼・鼻先・両頬・・・最後に口唇に軽く口付けて、さらりと揺れる黒髪に覆われた頭に自分の頬を押し当てる。
どんな想いで、新八が『何時か』の話しをしたのか分からない訳じゃない。
何故なら。それは何時だって俺の中にあった事。
けれど、それは俺自身の事ではなく、新八にとっての『何時か』の話し。
言葉にしてなかった訳じゃない。言葉にして縛る事を避けていただけだ。
だけど、新八が言ったのだ。未来の全てを俺にくれると。
だからもう・・・遠慮をする気は無い。
十六年と少ししか生きていない、まだ子供の未来の可能性を俺はこの手で摘み取るのだ。
俺の為に全て。
何時か・・・それを新八が後悔する日が来るかもしれない。
それでも、俺は意地の悪い笑みを浮かべながら今日の事を突き付けるのだろう。
浅ましく、忌むべきなのは俺の方だと苦笑を浮かべて両目を閉じる。
何時かの話しには何の意味もないのだと。
後書き
『二人の関係に不安になる新八に、銀さんがプロポーズ・・・的な感じで』なリクでしたっ!!
これでいいのか・・・?(首を傾げるな貴様)
えっと・・・うん・・・。自分的には新ちゃん泣かせられて満足です!!(おぃいいぃいぃっ!!)
ふぉぉおぉおぉぉおぉっ!!いいのかなっ!?大丈夫なのかなコレッ!?
リクを思いっきり空振った感がバリバリなんですけどぉおぉおおぉぉっ!!(蹲)
しかも、最後の銀さんちょい病みっぽくね?いや、この位は普通ですか?
もう、その辺の境界が分からなくなりつつありますorz
柚子様
頂いたリクはこんな感じになりましたが如何でしょうっ!?
何か、軽くシリアスな感じになってますが・・・もっとラブラブがよかったですかね?(汗)
もしそうでしたら、遠慮なくおっしゃって下さいませねぇえぇえぇぇぇえぇっ!!(土下座)
企画参加ありがとうございました!!!
2009.07.19