天堂無心流とは・・・。

天上に居るが如く、一切の妄念を心から切り離し己が剣を振るうべし。

と、言う事らしい。
早い話しが。

自分の剣は自分で見つけろコノヤロー。

なのである。
それ故に、天堂無心流には流派特有の型と言う物が存在しない。










夢現に聞こえし声に










素振り千回を終わらせて、流れる汗を拭いつつ思わず溜息を吐く。
疲れた訳じゃない。こんなのはまだまだ序の口だ。
さっきまで木刀を握っていた両手を開いて視線を落とす。
十数年…竹刀や木刀を握って振って来たから、何度も肉刺を作って何度も肉刺を潰して、大分固くなった。
まぁ、親父や母さん達に比べたらまだまだ柔いと言われてしまうだろうけど。
それでも、俺の掌にはそれだけの年月が刻まれている。



(筋肉だって付いてる…よな?)



胴着の袖を捲り上げ、力拳を作ってみた。
ぐっと盛り上がった其処を逆の手で押さえてみれば、固い感触。
逆も同じようにして筋肉の付き方を確認した。
見た目じゃしっかり筋肉が付いてるように見えなくても、それなりには付いてる。
どうも、俺は母さんの体質を受け継いでるのか、筋肉と脂肪が付き難い。
代わりに、それを支える骨の頑丈さとか太さは親父譲りのようだ。
まぁ・・・まだまだ成長期だから、これからに期待って事で。
とにかく、だ。
身体が完成するのはまだ少し先だとしても、今問題なのはそう言う事じゃない。



「まだ、見つかんねぇんだよなぁ…」



俺だけの剣ってのがとぼやいた所で答えが見つかる訳でも無く、思わず溜息を吐いた。
木刀を壁に掛けて、代わりに刀袋に納めたままの刃引き刀を取り出す。
一つ深呼吸をして刃引き刀を腰に差した。
途端、ずんっと腰の辺りが重くなる。
物理的に言えば、動きに支障が出る程の重さじゃない。
重いと感じるのは、精神的な物だ。
ふっと短く息を吐いて、身体を開いて腰を落とし抜刀の構えを取る。
一回・・・二回・・・深呼吸をして気を落ち着かせ、一気に抜き放つ。
刃が軌跡を描き終わる瞬間を見計らって一歩踏み出し、踏み出した足を軸に反転。
すぐさま両手に持ち替えて唐竹に振り下ろし、ダダンっと思いっきり踏み込んだ。
それでもまだ終わらずに、刀を返して切り上げ、その勢いを殺さないように今度は逆足を軸にして反転し、また振り下ろす。

唐竹・袈裟切り・逆袈裟・右薙ぎ・左薙ぎ・左切り上げ・右切り上げ・逆風・刺突。

剣術の基本である九つの斬撃で、刃引き刀が空気を斬る音。
何度も踏み込む音と、素足の足の裏と道場の板張りの床が擦れるキュッキュッと微かな音。
徐々に、それに乱れた俺の呼吸音も混じり始める。
汗が頬を伝う。
止まらず動き続けるせいで消費する酸素と取り込む酸素の比率が乱れ、酸素不足に身体が悲鳴を上げる。
だけど、まだ限界じゃない。

限界を一歩踏み越えられなければ意味がないっ!!

強い想いを乗せて振り下ろした一撃は、突如視界の端を掠めた物に絡め取られ薙ぎ払われた。



「・・・っ!?」



突然の事に緩んだ手から刃引き刀は弾け飛び、円を描きながら床を滑る。
最後に壁にぶつかってガシャンと騒がしい音を立て、止まった。
ついでに、俺の動きも完全に止まった。
何が起こったのか分からず、目を瞬かせながら無意識に浅く早い呼吸を繰り返していた所で、やっと気付けた。
何時の間にか道場にやって来ていた母さんに、木刀で最後の一振りを払われた事に。



「吃驚、した・・・」



呼吸を整えながら思わず呟けば、母さんがふっと小さく笑った。



「集中力があるのはいいけど、咄嗟の事にも対処出来ないとね」



足元掬われちゃうよ?と首を傾げられては、すんませんと頭を下げるしかない。
頭を下げた拍子に、ボタボタと汗が滝のように流れ落ちて、床に斑点を描いた。
とりあえず、胴着の袖で汗を拭いながら、刃引き刀を取りに向かう。
拾い上げて一度、鞘に納めた。



「閃時」
「何?母さん」



呼ばれて振り返れば、何故かじっと母さんに見詰められる。
意味が分からず首を傾げれば、ふっと母さんは表情を緩めた。



「焦っちゃ駄目だよ」
「え?」
「僕は閃時の剣筋、好きだよ?荒削りだけど真っ直ぐで、何より何時だって強い想いが篭ってる」



そう言いながら近付いて来た母さんは、懐から手拭いを取り出して額からまだ流れ落ちる汗を拭ってくれる。
そしてもう一度・・・。



「焦っちゃ駄目だよ」



そう言って、母さんは笑った。










「焦っちゃ駄目・・・か」



道場のど真ん中で大の字に寝転がって、言われた言葉を繰り返す。
あの後、母さんは俺に手拭いを渡して伯母上と一緒に買い物に出掛けた。
蓮華と咲は、公園に遊びに行ってる。
今夜はこっちに泊まるつもりだから、帰り支度心配はしなくて良い。
緩く握っていた手を開くと、指先にコツリと刃引き刀の刀がぶつかった。
そちらに視線を向ければ、斜めに差し込む陽光の中で俺と同じように刃引き刀が転がっている。
視線を天井に戻して、大きく溜息を吐いた。
焦ってるつもりはない・・・とは言えない。
母さんに言われるまでもなく、俺自身焦っている事を自覚している。
ついさっきまで、俺は十五になった夜に受け取った刃引き刀を腰に差して振るっていた。
だけどそれは、道場と言う限定された空間だったからであって、常時腰に差している訳じゃない。
何時だったか、それを土方さんに指摘され・・・俺はまだ『足りないから』と答えた。


親父から差し出された『闘う事への覚悟』を受け取ったのは俺。
そして、まだ常時腰に差す事を良しとしないのも・・・俺だ。

確かに受け取った筈なのに、その覚悟に釣り合わない現実。
見つからない俺だけの剣。
これで焦るなと言う方が無理だと、胸の内だけで呟く。
俺の周りで剣を握る人達も、やっぱり同じような焦りを感じたのだろうかと考えたけど、結局は自分自身で乗り越えるしかないんだと目を閉じた。










「相当悩んでるなぁ」



どれだけそうしてたかは分からないけど、不意に聞き慣れない声を俺の耳が拾う。



「でもなぁ若い内に悩むのは良い事だ」



そう言ってカラカラと笑う・・・深い、渋みのある声はそこそこの年齢が行ってるだろう事は分かるけど、やっぱり聞き慣れない。
と、言うか。聞いた事が無い声だと思う。



――・・・誰?



そう声にした筈の言葉は、どうも音にはなっておらず、俺の中にだけ響いていた。
でも・・・。



「さぁ誰だろうなぁ」



声にならない声も聞こえると言うように、答えが淀みなく返って来る。



「今それは大した問題じゃないなぁ」



またカラカラと笑う声の主に、何故かまぁそれもそうだと俺は納得していた。
ふと、傍らにあった筈の刃引き刀の質量が移動する。
どうやら、声の主が手繰り寄せたらしい。
音も無く抜刀する気配が伝わって来た。



「・・・良い刀だなぁ」

――人のもんに勝手に触んなよ。

「まぁそう言うな。良い刀を手に取りたいと思うのは、侍の性だ」

――・・・それでも、駄目だ。それは俺の大事なもんだから。

「だから、後生大事に抱えてるのか?腰に差さず」

――アンタには関係ないだろ。



何処か揶揄うような声音に、思わずむっとなる。
出来るだけ不機嫌そうに返しても、やっぱりカラカラ笑うだけだった。



「お前さんがなぁ、何で腰に差さないかは分からないでもない。
常に腰に差す時は自分の剣を見つけ、この刀を振るうに相応しくなってからだと決めてるからだろ?」

――だったら何だよ・・・。それが悪ぃのかよ。

「悪かぁないなぁ。でもなぁ」

――でも?



続かない言葉に目を瞬かせようとして、そこでやっと俺は、ずっと自分が目を閉じたままだった事に気づいた。
両目を開こうと瞼に力を入れたけど、接着剤で合わされたようにぴったりと閉じたままピクリとも動かない。
何でだ?と思ったけど、俺はこの状態を受け入れて、誰とも分からない声の主と会話を続ける事にした。



――でも・・・何?

「それは、本当なら自分で考えなきゃならんのだがなぁ。まぁ、特別教えてやろうなぁ」



ふっと柔らかくなった声に、俺は素直に頷いていた。



「刀はなぁ、飾りじゃあない。武器だ。
それも、侍に取ってはとびっきり大事なな。それは分かってるよなぁ?」

――・・・うん、侍の魂って言う位だ。

「その魂を後生大事に抱えたままじゃあいかんなぁ。
腰に差して、両手開けて。何時でも抜けるようにしとかなきゃならん。
それは自分を護る為、大事な人を物を護る為に必要だからなぁ」

――・・・頭では、分かってるんだ。でも・・・。

「自分の腕が未熟だから?」



思いっきり図星を差されて、俺は答える言葉を飲み込んだ。
飲み込んだ言葉がジリジリと胸の内を焼く。



「一緒にじゃあ、駄目なのかぁ?」

――・・・一緒に?

「最初から刀と釣り合う侍はおらんと思うぞ?逆もまた然り。
一緒に成長すればいいんじゃないかなぁ」

――そんな風に考えた事・・・なかった・・・。

「そりゃ酷いぞ?こいつぁお前さんの一生の相棒として打たれた。
なら、一緒に成長するのが一番だと思うんだがなぁ」

――・・・あの、さ。

「ん?」

――それって、今からでも遅くない・・・かな?



恐る恐る問い掛ければ、くしゃりと大きな手で頭を撫でられた。
他の誰とも似ているように思えないのに、何故か・・・とても懐かしく感じる大きな手。
くしゃりくしゃりと繰り返し優しく撫でられて、目の奥が熱くなる。



「遅いなんて事はない」

――本当に?

「あぁ。お前さんはまだまだ若い。何をしても遅いなんて事はない。
腰に差した刀の重さによろめく事もあるだろう。
まだ未熟な腕に悔しくて立ち止まりたい事もあるだろう。
それでも、自分の二本足でしっかり地面に踏ん張って立ってられたら十分じゃないかなぁ」

――そう言うもん・・・かな。

「案外、単純な事だ。だからなぁ焦る事なんて、一つも無いんだぞ?」

――うん。



何処までも優しい声と頭を撫でてくれる手に、俺は安心して頷く。
そして、どうしても声の主の顔を見たくて、俺は瞼に力を込めた。
駄目かもしれないと思ったけど、それに反して瞼はゆっくりと持ち上がる。



「お前さんなら大丈夫だ。なぁ、閃時」





私の孫だものなぁ。





そう言って笑う顔が陽光の中、一瞬だけ見えた・・・。










「―――っ!!」



音に出来なかった言葉を叫んで、俺は飛び起きる。
慌てて周りに視線を向けるけど、道場の中には俺以外誰も居ない。
ただ、随分と角度が急になった陽光だけが差し込み、静かに舞う埃がキラキラと光っていた。



「・・・全部、夢?」



そう思い込むには、余りにリアルだ。
だって、頭を撫でられた感触がまだ残ってる。
無意識の内に、撫でられていた頭に触れてゆるりと手を滑らせていた。
其処ではたと気付く違和感。
俺は確か、寝転んだ時に刃引き刀を自分の身体と平行になるように置いていた。
なのに、何時の間にか寝転がった時に頭があった位置で、俺とT字を描くようにして置かれている。
そこまで確認して、俺は素早く刃引き刀を掴むと立ち上がって走り出した。
道場を出て、直ぐに母さんが使っていた部屋に飛び込むと、悪いと思いつつ本棚を探る。
古い雑誌やら、アイドルの写真集の中から一冊のアルバムを見つけて引っ張り出した。
随分古くなったそれを慌しく捲れば、色褪せた写真が並んでいる。
殆どが、幼い母さんと伯母上が一緒に写っている写真だけど、何枚かに少しだけ別の人物が写り込んでいた。
ややピンボケてはいるけど、顔を判別する事は出来る。
優しく力強く笑うその顔に、俺は一瞬呆気に取られた後・・・笑った。










数日後・・・。



「お?閃時じゃねぇか」
「あ、こんちは土方さん」



依頼の途中、不意に声を掛けられて振り返れば、咥え煙草で片手を上げる土方さんの姿があった。
挨拶をして軽く会釈すれば、応と返される。



「総悟の奴見てねぇか?」
「見てないね。土方さんは馬鹿親父見てねぇ?」
「見てねぇな」



お互いに多分無駄だろうと思いつつも問い合って、チッと舌打ちを同時に零す。
まぁ、そうだろうと思ってたので深くは考えず幾らか会話を交し合った。
そろそろ俺は依頼に、土方さんは沖田さん探しに戻ろうと会話を切り上げてお互い別々の方向に歩き出したその時。



「足りねぇもんは見つかったのか?」



そう、土方さんに声を掛けられた。
肩越しに振り返れば、ニッと笑って左腰を叩く土方さん。
其処には、土方さんの愛刀が差され、俺の左腰にも・・・刃引き刀がある。



「まだ、見つかってないよ」



カラリと笑って答えれば、意外そうに土方さんは片眉を上げた。



「一緒に成長すれば良いって言われたから」
「ふーん・・・誰にだ?」



面白そうに問い掛けてる来る土方さんに、俺は真っ直ぐ腕を伸ばして空を指差す。



「あそこで見守ってくれてる人に」



そう言ってニッと笑えば、呆気に取られたようなポカンっとした表情を浮かべる土方さん。



「んじゃ、沖田さん探し頑張ってな」



その表情が珍しくてケタケタと声を上げて笑って、俺は今度こそ土方さんに背中を向けて歩き出す。
徐々に早くなる歩調は、気付けば走り出していた。



「ちょ・・・あそこって何処ぉおおぉおぉおぉおぉっ!?」



多分、あっちの世界を想像したらしい土方さんの焦った叫び声にぶはっと噴出して俺は走る速度を上げる。
余り慣れない左腰の重みに、まだ少し戸惑いはあるけど・・・。
きっと何時かそれも薄れて、この重みが当たり前になる。
当たり前になるまでに、何度よろめくか分からない。
何度立ち止まりたくなるかも分からない。
それでも、俺は両足を踏ん張ってしっかり地面の上に立っていよう。
優しく頭を撫でてくれたあの手の持ち主を裏切らないように。



「見てろよじいちゃんっ!!」



そう叫んで、俺は強く握った拳を空に突き上げる。
晴れ渡る空の向こう。



ちゃあんと見てるよ。



そう言って笑う姿が見えた気がした・・・。















後書き

やっと書けた長男決断話!!
これ以降の小説は、長男は刃引き刀を抱えるのではなく常時腰に差します。
これで、突発バトルがあっても安心です。
書くかどうか分かりませんがww
実は、刃引き刀は現状維持にするかどうか悩んだのですが・・・。
よくよく考えてみれば、やっぱ両手空いてないと色々不便だと思い直しこうなりました(笑)
最初は親父に諭されて・・・とか思ってはいたのですが、銀さんはそう言う所本人任せな気がして止めました。
んで、じゃあ新八?とかも思いましたが、銀さんが口出ししないなら僕がする事でもないだろうと、焦るなと言う助言までしかしないだろうなと思ってこう言う流れになりました。
何か・・・今更になって、これでよかったのか悩んでおりますが(爆)
とりあえず、一つ成長した長男。
これからも少しずつ成長して行きますので、見守ってやって下さいませ☆
2009.06.11